福岡中洲の歴史

地元の人にとって見れば「しってるよ」ってことかも知れませんが、地方から心機一転して風俗業界に飛び込もうと考える人もいるでしょう。
そういった人たちのためにも雑学を交えながら解説してみましょう。

中州エリアの場所

まずは地図をご覧ください

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中央に見える、河に囲まれた地域が「中洲」です。
決して広いとは言えないエリアですが、風俗・飲み屋などは3,000件を越え、男の欲望渦巻く場所なのです。

中州と黒田長政

中州の歴史を紐解くと、黒田長政という福岡藩の初代藩主が東の博多(現:博多区)と福岡(現:中央区)という2大重要拠点を結ぶ為に当時は島状態であった中洲に橋を整備したことから始まります。

黒田長政
黒田長政 ゲーム

※左が伝わっている肖像画。右はゲームでの画像です。豪快な人だったんですかね~。

【黒田長政】1568年~1623年
雑学を言えば、天下分け目の「関ヶ原の戦い」の勝因ともなった小早川秀秋の裏切りは彼の交渉によるものです。
その功績を認められて福岡藩の初代藩主となったのです。

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流通の中継地となる中州

中洲自体は元々耕作地として利用されていて、行き来には一部農民が個別に渡した橋があるくらいでした。
河は海に繋がっているので船での行き来は当然ありましたが流通の中継地として利便性の向上を計画したお上が動いて「中嶌橋」を建設。
これによって人の流れが活発になったことで中洲というエリアが誕生したわけです。
とは言え、いきなり現在のような歓楽街が出来たわけではなく、発展はごく緩やかでした。
本格的な発展は明治時代を待つことになります。

歓楽街:中州

明治時代以降になると電話・電灯・病院などの近代的施設が中洲を中心に建設されるようになりました。
その他、芝居小屋など娯楽施設も続々できてきました。
こういった施設ができ始めるとそこで働く人が集まり、人が集まる場所には飲食店・娯楽施設もどんどん出来る様になり、街はますます発展していきます。
第2次大戦でかなりの損害を受けましたが終戦後まもなく映画館が復活し、娯楽を提供しています。
夜の街としての顔も徐々に強くなっていき、「日本3大歓楽街」の1つに数えられるようになりました。

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